Apr 29 2012
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「最近なら、四方田犬彦という人の分析が面白いかもなあ。彼は、自分の講義で女子大生にアンケートを採って、 “あるものが「かわいい」と呼ばれるときには、そのどこかにグロテスクがこっそりと隠し味として用いられている“と言ってるの。ちなみに、彼はカワイイとグロテスクを補完し合う感覚として捉えていて、むしろ「美しい」という感覚の方を、カワイイに対比させてる」
「俺は、それは分かるよ。クリノッペもなめこも、正直なところ気持ち悪いと思う方が普通だと思うし。クリノッペなんて、最初グレイか何かかと思ったもん」
「私もクリノッペは、確かに最初はかわいく見えなかったなあ。でもさ、カビが生えてるクリノッペをお風呂に入れてあげたり、ダンス教室に通わせたクリノッペが嬉しそうに踊ってるのを見たりすると、だんだんかわいく見えてくるんだよ」
「四方田さんは、先の分析で「ヴァルネラビリティ」——日本語で言うところの「弱さ・もろさ」を重視しているのね。単に不気味なだけではダメで、「私がいないとダメだな」と思わせるのが大事なのかもね。そうやって、不気味なものに対する警戒心が解けたときに、カワイイという感覚が発動しはじめるという感じかしら——私の実感では」
「どうやらカワイイという感覚を掘り下げてみると、自分だけがわかる、自分だけのもの、という気持ちと切り離せないところがあるようじゃな。ガラケーのデコにもそういうところはあるんじゃないかな。どうも固有性の感覚と深く結びついている気がするのう」