“自然に優しい人たちが、クマにえさを!と、集めたドングリやら果樹やらを置いて来たりもするんです。 彼らは私たちを殺す気なのかと思いました。
人が作ったものを与えたら、さらに味を占めるのに。
彼らは車で山に入るから、道があるところしか通れない。
道に近いところにえさをばらまいて、満足して帰っていくのです。
そんなもの、道路わきに捨てたコンビニ弁当のごみと同じです。
ケモノを呼び寄せているだけなのです。
山へ帰すために、寄生虫がいっぱいいる熊の体を みんなで何とか持ち上げる。そんな現実を想像さえできないでしょう。
人は恐ろしい。だから、山のここまでしか下りてはいけない。
…かつての獣たちがそうであったように、私たちは境界線を作り直さなければ、山はもっともっと荒廃してしまう…。
田んぼに まこもの刈り採りに行く時、必ず水神様に手を合わせて、「クマが近くに居たら、帰るように伝えてください。」と拝んでいます。それでも、葉のざわめきに、跳ねる水の音に、息がとまる…。
早朝に 主人が刈り入れに行く時は、泣きたいほどに恐ろしい気持ちになる。
それでも、大切な作物を無駄にはできない。
それでも、私たちは山も田んぼも捨てられない。
熊を殺したくなどない。
こんな寒いはずの地方にまで 猪が溢れていることも 受け止めざるを得ない。踏まれ、かじられした稲穂をじっと見ている。
ただでさえ借金が増えている農業も、獣の餌を作ってるようなありさまで、それでも、都会住まいの政治家には見ざる言わざる聞かざるOKで済んでしまうようだから。
ヒトのおごりの最たるものは、『だったら、対策を考えればいいじゃないか。』という気もちだと思う。
頭と金を使えばなんとでもなると思っている。何もしない・現場を見ない人ほどそんなもんだと思う。
何とかしようと四苦八苦している人は、この胸の思いをぶちまけるところさえない。
壊すのは一瞬だけど、直すのは大変な時間と労力が必要とはよくいうけれど、『直せると思ってるの?直し方もわからないのに!!』と、私は思っている。
”