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Sep 17 2014

そこでテーマとして挙げられているのは“レジリエンス”。

耳慣れない言葉だけれど、どんな意味を持つのでしょう。

「元に戻るという意味です。逆境に置かれたとき、折れずに復活していく力なんです。」

日本でレジリエンスが注目されるようになった契機は、東日本大震災。

過去の自然災害の教訓を活かした堤防も、津波を防ぎきることはできなかった。

そこでハード面だけでなく、ソフト面における取組みの重要性が認識されるようになった。

「予想しないことが起きたときに、どう対応したらよいのか。企業が生き残るために、レジリエンス力が求められると思います。」

レジリエンス力を身につけるためには、過去のケーススタディに留まらないワークが必要だという。

「予想できなかったけれど、ものすごく大きな影響を及ぼす現象を“ブラックスワン現象”といいます。東日本大震災、リーマンショック、鳥インフルエンザ、9.11… 過去のケースに学び、未来に起きるブラックスワン現象に対応する力を養っておく。それが、GLOCOMアカデミーです。」

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Sep 16 2014

そこで最も印象に残ったのは、チャン氏が錦織選手に向かって、「フェデラーと対戦する前にあなたは誤りを犯した」という指摘だった。錦織選手は、「ナンバー1プレーヤーと対戦する前からドキドキしていた」と言った。

 それに対してチャン氏は、「コートの外で誰をどれだけ尊敬するかは自由だ。しかし、一旦コートの中に入ったら、プロのテニスプレーヤーである以上、相手に勝つことだけを考えるべきだ」と論駁した。

 相手のプレーヤーに憧れの気持ちを持ってプレーしては、試合に勝てるはずがないというのがチャン氏のロジックだ。確かにその通りだろう。問題は、発展途上の若いプレーヤーが実際に雲の上の存在のような相手に相対したとき、本当にチャン氏が言うような精神状態になれるか否かだ。

 強力な相手を目の前にすると、どうしても平常心でプレーすることは難しい。それは、口で言うほど容易なことではない。チャン氏の論理では、「だからこそ、妥協のない厳しい練習をする」ということになる。

 毎日、試合で勝つことを念頭に置いて自分自身を徹底的に追い込んでおく。厳しい練習をしてきたという自信が、強力な相手にも怯まないスタンスができるということだ。昔、受験勉強をしたとき、塾の先生は「試験のときが楽だと感じるくらい、日頃から自分を追い込んでおいた方がよい」と言っていた。

 その意味では、チャン・コーチのスタンスには何も特別なことがあるわけではなく、当たり前のことを当たり前にやることが基本になっているのだろう。

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たいした新情報もない文書を元に、なぜ朝日新聞はスクープを報じようとしたのか。これは非常に重要な問いだ。

 結論としては、その明確な理由はわからない。

 いや、大方の予想はつく。「ウケ狙い」だ。「とにかく原発・放射線が危ない」「東電はけしからん」「政府は不都合なことを隠蔽しているんだ」「真実から阻害された市民は立ち上がれ」という、朝日新聞はじめ一部メディアがこの3年間何度も繰り返してきたパターン。これは3.11以降、権力批判志向の強いメディア・知識人が繰り出せば大ウケする「鉄板ネタ」となった。それに味をしめて——。だが、本当にそんなどうしようもない理由で記者が動いたのだろうか。その答えは今回の事件を引き起こした当事者にしかわからないし、そうでないことを願いたい。

 いずれにせよ、「新事実がないならば、なぜ朝日新聞は、命令違反で社員の9割が逃げたと報道したのか?」という問いへの明確な理由は、すでに朝日新聞が経緯の概略を説明している部分もあるものの、詳細を理解するのには不十分なのが現状だ。吉田調書問題を追いかけている他の報道機関の記者に聞いても、「なぜ、あんな脇の甘いことをしたのかわからない」「吉田氏が、第二原発に行ったことをあとから肯定的に評価している、という部分を入れても記事は成立したはずだ。なぜ、わざわざ『悪質な歪曲』と突っ込まれそうなことをしたのか」といった疑問の声を聞くばかりだ。

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前回述べた通り、事故検証とは誰かの責任追及をするためではなく、事実関係を明確にし、未来への教訓を残すことにある。これまでも様々な事故に関する事故調がつくられ、検証作業が行われてきた。そこでは、「責任追及をしない代わりに、これまで出てこなかった事実も含めて証言してもらう」という前提が設けられることも多かった。

 その点で、今回のケースについて「非公開が前提の証言を(政府の圧力に屈せず!)そのまま公開すれば、私たちは真実に近づき、公正な社会を実現できる」と考えるのは、浅薄な発想と言わざるをえない。同様の事態が発生した場合、集めるべき情報の収集を困難にするからだ。事故調に協力しても、それが責任追及の道具や、スキャンダル消費のネタとして一人歩きするのならば、そもそも調査自体が成立しなくなり、社会の真実や公正の確保は遠のく。

 繰り返しになるが、「未来への教訓を残すため」との約束が破られる前例をつくってしまったことは大きな汚点だ。「市民への情報公開は進められるべき」という価値観を持つことやその実現は重要だが、必ずしもそれは、無条件に何に対してでも進められるべきことではない。いま重要なのは、私たちが教訓を得られる情報をいかに獲得できるのか、である。

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まず必要なのは、今回の調書公開は、通常ありえない特例的なプロセスの中でなされたものであり、いわば「超法規的措置」だという事実を明確に意識すべきことだ。

 本来、吉田調書とは、非公開が前提で得られた調書だ。調書の冒頭にて「記録が公になること」を承諾しているものの、それは事故検証の過程でとられたものである。当然、そこにおける利用という限定を超えて、このように当人の意図せざるところで漏洩することを前提としていない。それがこの事故調での検証作業であり、その情報収集プロセスを成立させている。

 すでに報じられているが、政府事故調の内部に留められる調書が国会事故調に開示される際、吉田氏本人が上申書を提出している。そこでは「国会事故調に開示することについては異議はございません」としつつも、「本件資料が、国会事故調から第三者に向けて公表されることは望みません」「第三者に漏えいすることがないように、国会事故調において厳格な管理をするとともに、国会事故調による調査終了後は、国会事故調から政府事故調へ資料を返却していただきたい」と一般公開を強く拒絶していた。

 しかし、朝日新聞の5月の吉田調書スクープは、その発言の一部を切り取り歪曲して伝え、それが一人歩きし、現在に至っている。吉田氏の上申書提出は、そのような事態を事前に懸念してのことである。

 公文書にもかかわらず、非公開が前提となる文書が存在すること自体に、不満を抱く人がいることも確かだろう。また、政府が情報を統制する志向を常に持っていることに、不安があるのも理解できる。時代状況を見ても、様々な分野で「市民への情報公開」が善とされる大きな価値観が存在するなかでは、そうした議論が出てくるのは当然だ。

 しかし、そのような不満・不安をもとに、今回のようなプロセスによって、非公開が前提の文書をなし崩し的に公開してしまったことは、歴史上の大きな「汚点」となり得る。なぜなら、結果的にではあるが、政府が設置した公式の事故検証の場である事故調において「政府が情報提供者との間に定めた契約を破った」という前例をつくったからだ。ましてや、今回は、吉田氏が亡くなり「死人に口なし」で反論を許されない状態のうえで「情報公開」が進んだ。

 これは、今後、社会を揺るがすような事故があって事故調がつくられた際、「事故検証」に協力しない人、あるいは、協力しても口を噤む人が出てくる可能性を高める。

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Sep 15 2014

逆に人が集まらないタイプの人間は<からみづらい>。何かを相談すると俺スゴイアピールが連発されたり、「こんなこともわからないの?」的な物言いをされたり、自分の喋りたいことだけをまくしたてられたり。

特に面倒なのはやりとりのなかでアイデアをブラッシュアップさせたいにもかかわらず、お互いの意見を反映させる気がゼロの人。「俺はこうしたい」を曲げない人に懇々とアプローチを取っていくなんて時間のムダが過ぎる。もうめんどくさいんで、勝手にやってくださいって話になる。

後者のタイプの人間は、「話し合うことそれ自体がコミュニケーション」と誤解しているフシがある。お互いの意思疎通、意見交換ができることがコミュニケーションの良さのはずなのに、通じ合うことなしにやりとりを発生させること自体をコミュニケーションと誤解しているのだ。そんなものに付き合ってられるわけがない。

だからそんな人には最低限のやりとりだけを望むようになるし、何かあったときに相談しようなんて気が起きないのだ。人が集まるはずがない。

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坂本:何より大きかったのが、感情表現っていうのは、身体の使い方なんだって知ったことなんです。感情表現は気持ちの問題ではなくて、感情をどう身体に変換させるかが重要だから、自分自身はすごく冷静じゃないといけないとか。そして、それは全ての芸術に共通することなんだなって感じられて。当時は歌手を続けるのか悩んでいた時期だったんですけど、正しい呼吸を身につけていくと、ただ呼吸をしたり、そこに声が乗るだけで、みんな何かを生んで生きているんだなって深い満足感が得られて、人として助けられたんです。どうしても「何かを常に生んで、社会に認められてないと、生きてる意味がない」って気持ちになりがちだと思うんですけど、それだけが生きている証明じゃないんだって、声はそういうところまで気づかせてくれたんです。

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 「個人の責任を追及しない」という方針は、事故調査委員会のなかでも、おそらくは事故調査に詳しいジャーナリストの柳田邦男委員が提案したものと思います。そして個人の責任を追及しないことは、事故調査の基本でもあります(正確には、資料の公開は妨げないが、その資料を刑事事件の証拠には採用しないことを保証する)。

 というのは事故調査において、その証言が個人の刑事責任の追及に使われると、皆が口をつぐんでしまい、かえって事故原因の究明を妨げてしまうためです。実際、家族を失った遺族が「真実を知りたい」と刑事告訴した結果、関係者が一様に何も話さなくなり、真相を十分に究明できなかった残念な事例は枚挙に暇ありません。

 実際、鉄道や飛行機の事故、医療事故などで「事故調査委員会」方式の採用が増えているのは、これまで警察、検察やマスコミが個人の責任を重視するあまり、真の原因の追及がおざなりになっているのでは、との反省があります。(最近では、情報漏洩などIT分野でも増えていますが・・・)

 朝日新聞が「吉田調書」をデジタル版で解説付きで公開したこと自体は、大きな意義があったと今でも思います。やや無味乾燥で読みづらい事故調査報告書に代えて、臨場感があり、かつ幅広い読者にとって読みやすいコンテンツに仕立てた取材班の力量には、今読んでもうならされるものがあります。

 ただそれは、NHKや共同通信、ノンフィクションライターらが別の方法で試み、それぞれ成功を収めていたこともでもあります。新聞一面の「スクープ」に当たる新味な情報があったわけではありません。

 一方で、この事故調査資料を使い、事故の拡大につながった官邸、東電幹部、東電職員個人の行動を明らかにするという取材班の方針は、一概に否定はできないものの、極めてリスクの高い、慎重の上にも慎重を期するべき取材手法であったと思います。そのことにもう少し自覚的であれば、今回の事態に至ることもなかったかもしれません。

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Sep 14 2014

紙面の都合上、詳述できないが、中国には「自分にできること」をおこなう零細製造業者たちがおり、それぞれの生産したパーツを、ウィキペディアをつくるようにカスタマイズする市場がある。ここでの製造業者の戦略は、「試しにつくってみる」「まずは激安価格で販売し、売れた商品の値段を後から引き上げる」といった「賭け」と、ダメだとわかったら─製品の高度化や連携の構築を目指すのではなく─すばやく撤退、他製品・業種への転戦をおこなう「逃げ足」の速さで成り立っている。

 さて、品質管理がなされない中国製品は不良品が多く、アナーキーな市場では詐欺も横行しており、地下銀行や不法就労等の賄賂の支払いを含めて、流通チェーンの各段階での取引コストは非常に高い。そのため、アフリカ系商人たちにとって、一つの商品、特定の得意先に依存した商売をおこなうことは、非常に危険である。それゆえ、彼ら自身も「試しに仕入れてみる」という商品・仕入れ先の多様化をリスク分散の戦略として実行する。

 また低模造品の世界は、製造業者とアフリカの消費者のいたちごっこで動いている。たとえば、アフリカでタイ製の衣料品のほうが縫製がよいと需要が高まると、すぐさまMade in Thailandのタグのついた中国製衣料品が製造される、特定のアプリのマークで偽スマホは判別できると噂が広まると、マークが改善された偽スマホが製造されるといったことである。

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誤解されがちだが、タンザニアの消費者は、SONIやHITATIといった中国製の模造品やコピー商品と、オリジナルのSONYや製品の違いを中古品との比較でよく理解している。大半の庶民にとって、新品のオリジナル製品は手が届かないが、中古品なら手に入るのだ。自転車に限らず、大半の中古品の価格は、輸送費や関税で決められる。

 たとえば、日本の中古自転車なら、不法駐輪された自転車や一般家庭から廃品回収された自転車などが輸出されている。この原価がほとんどかからない中古品と同じ価格、むしろ安い価格で販売されているのが中国製品なのである。

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